門徒ものしらず

先日、あるご門徒の方から「門徒物しらず」と言われますが、どういうことですか?」と、聞かれました。
この言葉は、他宗の方から浄土真宗に対して言われる言葉ですが、本来の意味からすると、「門徒物忌みしらず」だと聞いています。ただし、学者どもは、「こんな言葉はねぇ」とこきますが、別に良いのではないかと思います。出典だけ捉えて、「門徒物知らず、法華骨なし、禅宗銭なし、浄土情けなし」という、歌舞伎のセリフだと書いてありますが、そんなことはどうでもよいのです。

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物忌み…というのは、簡単に言うと意味のない迷信に迷わされて日々生活するということ。親鸞聖人は「鬼神に仕える」と言われます。ケガレるとかキヨメるとかとセットになります。ケガレているからキヨメる、これは仏教ではなく神道の考え方ですが、日本では長らく神仏修合といって神も仏もいっしょくたに祀られていたので、神様の作法が仏教に入ってしまって常識になってしまったのですね。

蓮如さんの御文(門徒にあてた手紙)のなかに、世の人は浄土真宗を「おかしくきたなき宗」だと言うと書いてあります。一番大きいのは死のケガレでしょうね。仏教では死はケガレでも何でもないはずなのにキヨメる。それをやらない、だからヘンだ…。

方違え(かたたがえ)という事があります。『枕草紙』にも、出てくる、平安貴族の風習かと思うと、まァ、高島暦なんかに載っていて、現代でも信じて実行する人がいるんですが…うしとらのこんじんと言う神様がいて、しょっちゅうあっちへ行ったりこっちへ行ったりする。うしとらのこんじんがいる方角に移動すると災いがあると言うんですね。暦には何月何日から何日まではどの方角にいると、細かく書いてある。で、平安時代だと、貴族が内裏に出勤するのに、その方角に行かれない。だから、一旦別の方角に行き(たとえば北に行けないときは、一旦東に行って友達の屋敷に止めてもらい、次の日に北西に進んで到着するとか…、現代だともっと大変で、京都から東京に行きたいのに東に行けないと…わざわざ特急サンダーバードで新潟に行き、そこから上越新幹線で東京に行く…政治家にいると聞きますが…。ちなみに、国会の召集日は占いで決めるとか…いやはや、やってることが卑弥呼の時代と変わらない…。

こんな話があります。親鸞聖人の弟子が、村の風習で伊勢神宮にお参りに行くことになりました。向こうに着くと水垢離をして身を清めてから参拝するのですが、どんなもんでしょうか?。
聖人は、必用ないと。
で、この人だけそのままお参りすると、その夜夢を見た。立派な社殿の前にいるといきなり神様が「お前は何故、けがれたままで参拝した!」ととがめるんです。返答に困っていると社殿の扉が開いて親鸞聖人が出てきて、「その者は、私の弟子だから構わない」と言ったと言うんです。
いったい、何を意味するのか考えてみて下さい。



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