お供えもの

お彼岸ですから、お供え物について考えてみたいと思います。お彼岸で門徒さんのうちの
お内仏にお参りすると、お供え物が上がってます。和菓子や果物が多いのですが、中には
スナック菓子だのお酒だのタバコだの・・・???みたいなのものもあります。
でも、それは本当のお供え物ではありません。これは結局自分たちが食べるのを買ってきて
並べているだけ。こんなのはお供えとは言いません。
浄土真宗でお供え(本当はお備えです)は、生花、ろうそくなどのお灯明、お線香、そしてお仏飯です。
そして、これらのお供え物は、我々が準備いたしますが、建前上は阿弥陀仏がわれわれ人間に
供えてくださっているのです。
なぜ、仏様の側から我々にお供えされていると言えるのでしょう。
実は、お供えされているものはすべていのちの象徴なのです。お花は買ってきたときはきれいですが、やがてしおれて枯れてゆきます。ろうそくやお灯明はいずれ燃え尽きます。また、突然の風で消えてしまいます。お線香は煙を出して燃え、白い灰だけが残ります。つまり、これらのお供え物は阿弥陀仏が人間に対して、いのちの儚さを教えてくださっているのです。
そして、そのいのちが具体的に見えるものとして、ご飯をお供えして下さっているのです。時々受ける質問に「うちは朝はパンなので、パンをお供えして良いでしょうか?」というのがありますが、もうお分かりですね、パンではダメなんです。
そういえば先日、「ぶっちゃけ寺」っていうテレビのバラエティ番組で、ある坊さんが、「寺に外人観光客がお参りに来てくれるのはありがたいが、仏様のお供え物を勝手に持ってって困る・・・」みたいなことを言ってました。
お供えは誰のものなんでしょうね。この坊さん、「わしのもんじゃ。わしが金出して買ってきたもんじゃから、わしのもんじゃ」と思うから腹が立つ。違うでしょ?、お供えは仏様のものですよ。そこんとこはき違えるとおかしくなります。お賽銭箱のお賽銭もそう。
お賽銭箱に鍵なんぞかけるから賽銭箱を壊される。あのお金は本来、困ってる人は持ってって良いんです。
その代わり、返せるようになったらちゃんと借りた分は返しにくる。それが本当の姿なんです。

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