つきせぬイノチと はてなきヒカリ


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「阿弥陀如来ってどんな姿」、と言われると、こんなお姿…なかなか良い画像が無くてまっ黒けですが…仏像をイメージされた方…間違いじゃありませんが50点です。じゃぁ100点のお姿は…ない…が正解です。

たとえば、南無阿弥陀仏という言葉、漢字には意味はありません。南じゃないのか…じゃ北か…ではなくて、南無は、古代インドの言葉 「ナマス」に漢字をあてただけ、世露死苦…みたいなノリです…ちょっと違うか。とにかく「ナマス」ですが、「ナマステ」にすると、今のインドの挨拶の言葉ですね。手を合わせて「ナマステ」が、インドの挨拶、手を合わせるのは「あなたに危害を加える武器は持ってないよ」の意味、「ナマス(テ)」は、あなたの仰せに従いますという意味です。

阿弥陀は…実はアミターバ、とアミターユス、二つの言葉の共通部分、アミタだけ漢字を当てたんですね。ミタは、限りがあるとか限定されたという意味、それに否定を表すアが付いて、無限とか限定されないという意味になります。アミターバは無限のイノチ、アミターユスは無限のヒカリのことですね。

ちなみに如来は…タターアガタを、意味で漢字にあてたものです。本来はタターアとガタと言う二つの言葉がくっついた言葉で、去ってゆく人ぐらいの意味です。だから古い経典では、如去(にょこ)と書いてあります。釈迦如去、阿弥陀如去…なんだか変です。月光仮面じゃないけれど、どこへ去ってゆくのか…心理の世界…浄土、仏の世界ですね。
それに対して、むりやり強引に、「タタ ア ガタ」、と読んだのが西遊記でおなじみ玄奘三蔵、アは否定語ですから「去らない人」去らないということは来る…「如来」と、訳したんですね。強引です。心理の世界、浄土から来る人、我々に関わろうとする人…です。阿弥陀如来というと、仏像になります。

で無限のイノチと果てのないヒカリ象徴される阿弥陀仏は、無限のイノチはいかなる時代の人にも当てはまるということ、果てのないヒカリは、太陽の光がどんな人にも降り注ぐように、どんな人にも全て当てはまるそういう存在なのです。

そして、全ての人が「南無」と従う仰せとは何か、おいおいにUPしたいと思います。




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