愛は地球を救わない…仏教的愛とは

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「名利の大山に迷惑し、愛欲の広海に沈没す」親鸞聖人は、自らこう嘆かれました。地位名誉に惑わされ、とどまることを知らない欲望にどっぷりつかった自分だと言っているわけで、人間普通は、心の中で思っていても、弟子が読むかもしれない文章の中に自分のことを、こう悪くは書かないでしょ。 

おまけに愛欲などと言われると、アヤシい小説のタイトルみたいで、一見しただけでは坊さん(親鸞聖人は、自分で「僧にあらず俗にあらず」と述べてますから、坊さんではないかもしれませんが)の発言とは思えません。
 
実は、仏教で愛と言うと、恋愛とか愛情…ではなく、別のもっと悪い意味の言葉になってしまいます。「渇愛(かつあい)」という言葉があります。意味は「メチャメチャのどが渇いた人が、水を飲んでも飲んでも渇きが納まらないように、煩悩(欲望)がどんどん出てきて止まらないよぉ…」という意味、愛だけでも同じ意味になります。

以前、とある大物女優が亡くなってお葬式のテレビ中継で、法名が映っていました。そこに愛の字が使われていたのですが、後日うちの宗派の住職の寄り合いの休憩時間に、そのことが話題になり、「あれ、つけた住職、勇気あるね。私はとてもつけられない…」みな口々に言いました。法名の文字って、見た人が、なんとなく故人の人となりをイメージしますから、一見清楚な女優が、実は煩悩欲望が止まらない人でした…では、ちょっと使うのに勇気がいりますね。
もちろん、我々一応プロが見て…ですから、一般に人は、愛なんて使ってもらって素敵ね…なんて思うのでしょうが。
  

大河ドラマで有名になった、直江兼次…「愛の武将」なんて呼ばれてましたが、一部には愛をLOVEと勘違いした表現がありました。恋愛の意味だと、この時代、恋を使うはずで、愛は使わないでしょ。
一般的解釈は愛染明王(もしくは愛宕権現)の愛の字だと言われていますが…まぁ、主人の上杉謙信が毘沙門天の毘の字を使っていたので真似したんでしょうが、これも勇気がいったと思いますよ。
戦国武将達って以外と教養持ってますから、愛は迷い…ぐらいの基礎知識は有ったはずで、もしかしたら、逆に「私は欲望だらけの人間です」と無言の告白をしているのかもしれません。越後は親鸞聖人流罪の地、教えが深く行き渡っていますから、「名利の大山に迷惑し、愛欲の広海に沈没する」という言葉を聞いていたかもしれませんね。



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