ヒガンバナとお彼岸

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秋の御彼岸になるといつの間にか咲いているヒガンバナ。最近はガーデニングでプランターで咲かせているいうちもありますね。逆に、怖いとか、気持ち悪いとかいう人もいます。
私は田舎の出身で、子供のころ、この時期には、それこそお寺の庭から田んぼの畦から、真っ赤に染まりました。

幼稚園の頃でした。お友達の女の子と田んぼの畦でヒガンバナを抱えるほど摘んで持って帰ったら、いつも温厚なおばあちゃんが、珍しく真っ赤になって怒りました。
「うちにたくさんキツネを連れてきて、なにをする!」
ヒガンバナは、キツネが化けたもので、家のなかに入れると、キツネが悪さをするというんですね。 昔の人は、ヒガンバナに対して、あまり良い印象は持ってなかったんです。幽霊花とか死人花なんて呼ぶ地方もあるようです。

川の土手とか田んぼの畦とかに固まって生えてますけど、あれって人が植えたものなんですよ。
実はヒガンバナ。毒があるということから、ネズミやモグラが嫌うので堤防や畦に穴を開けられないように植えたのですが、飢饉のときには球根を掘り出し、潰してデンプンを取り、水に何度も浸けて毒を抜き、葛粉のように練って食べていたそうです。
まとまって植わっているから、赤いじゅうたんになったんですね。

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それにしても、ヒガンバナには夕焼けがよく似合います。夕焼け空と彼岸花と、たわ輪に実った稲穂…日本の原風景ですが、このヒガンバナ、曼朱沙華とも言いますね。これは古代インドの言葉で、おめでたい時に天から降る赤い花のことです。大無量寿経と言う御経のなかには「虚空諸天人 當雨珍妙華(虚空の諸天人、まさに珍妙の華をふらすべし)」とあります。
大きな法要だと、散華行道(さんげぎょうどう)ということをやります。これは坊さんたちが歩きながら厚紙で作ったった花びら(金箔が押してあって、雅楽の火炎太鼓の絵なんかが印刷してあります)を撒く作法です。仏様に敬意を表するために行います。恐らく古代インドでは、王様が通る道に花びらを撒いたんだと思います。
むかしのお葬式の行列でも、先頭に籠に紙の花びらを入れたものを竿の先につけたものを持ち、振りまきながら進んだという話を聞いたことがあります。地方によっては籠に小銭が入れて有って、落ちる小銭を子供たちが争って拾ったそうですよ。

そして夕焼け…西に沈む夕日に昔の人は極楽浄土をイメージしたんですね。阿弥陀経と言うお経には「従是西方 過十万億仏土 有世界 名曰極楽 其土有仏 号阿弥陀 今現説法(西の方角一億の一万倍の十万倍の数の仏様の世界を過ぎると極楽と言う世界があり、そこには阿弥陀仏と言う仏様がおられる。今現在も説法をなさっている)と有りまして、極楽は西にあると。
また観無量寿経と言うお経は、極楽を頭の中に思い描くためのイメージトレーニングの御経ですが、第一のトレーニングとして夕日を見なさい。そして西のかなたに阿弥陀仏の浄土が有ることを思いなさいと言うのですが、鎌倉時代のお坊さんで重源と言う方(平氏に焼かれた奈良の大仏を再建した)が、兵庫県の小野と言うところに、浄土寺と言うお寺を建て、奇抜なお堂を作りました。
西側を開け放っして西日が差しこむようにつくり、中央に雲に乗る阿弥陀仏、観音菩薩、勢至菩薩、三体を並べ、視覚的に阿弥陀仏と極楽を体感できる施設、今で言うとテーマパークですね。春秋の御彼岸の中日には、阿弥陀仏の真後ろに日が沈むそうです。

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私が拝観に行った30年前には、西側はガラス張り蔀戸になってました。今の画像を見ると、格子が見えないので、蔀戸もないみたいですね。たぶん、創建当時の姿に戻されているんじゃないかと思います。もちろん、防犯のためにガラスは、はめてあるんでしょうが。
車で行くか、さもなきゃJRの加古川線か、神戸電鉄粟生線の小野駅から、バスかタクシーを乗り継いで行くしかない不便な場所ですが、見に行く価値はあります。近くに北条の五百羅漢もあります、くっつっけて見に行くと良いですよ。



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